月村 正比古 回顧展
MASAHIKO TSUKIMURA retrospective exhibition

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・1965年21才 「思想と実践」

謹啓

人間関係に絶対の許しを確信している友よ!人間の絆として、人間の心の絶叫として決意して、今存在している私の友よ!あなたは美しかった。この決意を心の内にさざめき、きらめかせているあなたは美しかった。神の許しではなく、まさに人間の許しを信じているあなたは美しかった。

人間の未来には一体何があるのか?島崎さん自身の未来には何が存在しているのであろうか?そしてこの僕の未来には何が……一体何が存在しているのであろうか。神?それとも平和?善?それとも悪?
僕の未来には神も、平和も、善も、悪をも存在しない。僕の未来には人間が存在するだけだ。神も、平和も、善も、悪も内につつんだ人間が存在しているだろう。僕という人間が存在しているにすぎない。流転する僕という人間が……。
僕は未来にあるであろう僕という人間の為に新しい道徳を、新しい精神を創造したい。具体的にどの様な道徳であるか、精神であるか、今の僕にはまったくわからない。その解答は僕自身の究極的な人間存在の目標が決定されなければ得られない。ただ僕は学問と芸術に依って僕の存在を成立させたい。学問になるか、芸術になるか、今決定しがたい。これは僕自身と時が解決してくれるにちがいない。
僕は僕自身の創造ということも考えている。が僕は人間の創造、人間を創造するということに最大の関係の意義を認めている。僕が未来にあるであろう人間になるということはこの新しい人間を創造する為であると言っても良い。未来には何もない。未来には可能性が満々ている。未来は何ものにも規定されない、規定してはいけない人間存在がある。この人間存在の為に、今ある道徳、今ある母の愛を超克し、新しい母の愛、新しい道徳を創造せざるをえない。
僕は真実利己的な人間だ。この僕の思想を実現したいという意味で、まったく利己的だ。僕はこの思想を否定するものを許し得ない。この思想に従う者のみ、僕は愛する。
新しい芸術の為にではなく、新しい学問の為にではなく、新しい人間の為に僕は生きたい。新しい人間を創造する為に私は存在している。人間の為に、僕が考えている人間の為に僕は生きている。
目的は人間だ。僕もその新しい人間の一人になりたい。しかし、それは不可能であろう。僕はあまりに現代の教育に犯されてしまっている。僕は次の、更に次の世代に僕の意思を、僕の目標を、僕の思想を考えてもらいたく思う。
僕の創造活動、僕が生きるということ、僕が誰かを愛するということは、僕にとって手段にすぎない。目的実現の為の手段にすぎない。僕の目標は人間だ。真実の、僕にとっての真実の人間の為に僕はすべてをささげる。この様な僕は、それ故島崎さんと友達になったのであり、僕は島崎さんに、僕自身に自由を与えたのだ。僕はすでに僕の思想を実践してゆくだけだ。僕は他人の考え方に従うことはしたくない。僕は僕の考え方を僕の愛する人に押しつけるだけだ。それを拒否すれば、僕はその人を愛することを、許すことを止める。新しい人を捜すだけだ。苦しく悲しいことではあるが、それでも僕は新たなる人間を創造したいのだ。これこそ僕の最大の活動だ。僕が新たなる人間になること、そして新たなる人間を創造すること、この二つの活動は一体である。

月村正彦
自由

僕に関して、島崎さんの前にあるのは、右(※上)の二つ、まあ、ゆっくりと考え、交際してゆきましょう。それとも、こんな人間は嫌いでしょうか?
なんでもいい!とにかく僕は僕の思想を形成し、実践してゆくだけだ。


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